陰陽道 陰陽會

安倍晴明公の方術が今ここに蘇る!

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桔梗だより 平成26年5月号

4月の陰陽會の祭典および行事

43日 神武天皇遥拝式

429日 昭和祭

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5
月の陰陽會の祭典及び行事予定

55日   端午祭 
 

伊勢神宮の変遷 (最終)

 明治二十二年に行われた式年遷宮は、明治国家形成と云う歴史的大事業の中心的な位置付けとされ、神話の時代から続く、万世一系の天皇を戴く皇室と近代化を成し遂げた西欧の仲間入りを果たすべく、文明国家としての日本を、車の両輪の如くバランスよく国の内外に知らしめる必要がありました。

 神宮としても皇祖の神威が一段と高まる式年遷宮を通して、同年発布された万世一系を謳う「大日本帝国憲法」を根拠付け、強力に支えました。神宮と憲法は一体となって明治国家を形成していったと言えます。

 更に翌二十三年には国会が開設され、明治国家は名実共に西欧列強に肩を並べる近代国家の第一歩を踏み出しました。

 その後、日清戦争(明治二十七年八月~二十八年三月)、日露戦争(明治三十七年二月~三十八年九月)の両大戦に勝利し、明治四十二年に明治になってから二回目、第五十七回式年遷宮が行われることになりました。

 この第五十七回式年遷宮の準備段階で、社殿造営に関する変更案が内務大臣から天皇に上奏されました。その内容は、昔ながらの掘立柱を止めてコンクリートの基礎の上に礎石を据え付け、その上に柱を立てると云う合理的な工法でした。この工法にすることで腐食を避け、二十年毎に建て替える必要が無くなり、用材の確保に奔走しなくても済むと云う事からでした。このような合理的な案が出された背景には、神宮の御用材として約一万二千本もの檜が必要であり、御用材の確保が困難を極めた事にありました。

 しかしながら明治天皇はこの案を却下され、従来通り掘立柱による工法とする、とされたのでした。あくまでも式年遷宮の慣行を遵守する事を選択されました。これを機に、式年遷宮を永続的に行えるよう、御用材確保を目的とした木曾御料林(きそごりょうりん)が確保され、現在に至っています。

 第五十七回式年遷宮が斎行された際、明治天皇は次のような御製を詠まれました。

いにしへの姿のまヽにあらためぬ  神のやしろぞたふとかりける

 現在、我が国は「グローバル時代」と称して、構造改革・規制緩和・女性の社会進出・家事や介護に外国人材活用・移民受け入れ・小学校からの英語教育・社内の公用語の英語化など、今迄長く続けてきた慣習や伝統・或いは文化などを「発展を妨げる悪しきもの」として破壊しつつあります。

 しかしながら古くから続いてきた慣習には、外国人にとっては面倒で邪魔な事であっても、日本人を日本人たらしめる為にはなくてはならない重要なものであることが大半です。

 「古い考えや慣習は進歩の妨げである」と云った誤った考え方により、次々と打ち壊されてしまえば、そこには最早日本も日本人も存在しなくなる事を一刻も早く理解せねばなりません。

 我が国が失われつつあるとは言いながら、僅かながらでも「日本」の伝統文化と日本人らしさを保ち続ける事が出来ているのは、先人が伝統・文化を受け継ぎ続け、現代にまで残して来てくれたからこそであります。

 明治天皇の御製には、日本人が「合理的」と云う理由で安易に伝統を捨て去り、新しきものに飛び付く事の軽挙妄動を戒め、伝統を守り伝える事の大切さを詠まれたと拝察する次第です。

 其の二十年後の昭和四年の式年遷宮は、空前の盛大さ、豪華さを誇るものであり、御社殿を最高級に仕上げ、宝物や設えも復古のレベルを超えたものになりました。東亜細亜に於ける緊迫した軍事情勢の下、ナショナリズムの高揚が皇祖をお祀りする神宮の式年遷宮に空前の盛儀をもたらしたと言えます。

 11年後の昭和十五年には神武創業から二千六百年目にあたる、「紀元二千六百年」を迎え、国を挙げての盛大な祝賀の年となりました。この年、昭和天皇は神宮に御親拝なさいました。

 昭和十七年十二月八日、大東亜戦争が勃発。昭和二十年八月十五日、終戦。同年十二月、昭和二十四年に予定されていた第五十九回の式年遷宮の準備中止が決定されました。GHQから「神道指令」が出る三日前の事でした。

 昭和二十七年四月二十八日、サンフランシスコ講和条約の発効によって日本の独立が為され、翌年の昭和二十八年には、昭和二十四年に予定されていた式年遷宮が繰り延べられ、戦後初めて行われることになりました。

 前回の昭和二十四年の式年遷宮に於いては、空前の豪華さを誇りましたが、昭和二十八年の式年遷宮では、過剰な装飾が減じられ、豪華な飾り金物は影をひそめ、現在に至っています。

 今から約千三百年年前、第四十代天武天皇がお定めになり、次の第四十一代持統天皇の四年(六九〇)に第一回目の御遷宮が行われて以来、長い歴史の間には一時の中断(戦国時代)はありましたが、二十年に一度繰り返されて、平成二十五年に第六十二回目の御遷宮が行われました。この間、平安初期に定められた延喜式の詳細な規定の下、凡て古代と寸分違わぬ形と風合いで刷新され、生まれ変わり、蘇り続けて今日に至っているとされています。只内実は、今迄書いてきたように、遷宮の歴史には実際は様々な変更や中断も有り、また内宮と外宮の争いにより血塗られた歴史的事件もありました。

 しかしながら、長い長い時間の試練を経ながらも、今尚、清々しく厳かで高貴さを保って、内宮・外宮共に御神体が鎮まっておられることは間違いありません。

歴史を持たぬ米国に敗戦し、蹂躙された事によって、戦後、日本人のアイデンティティが失われていく一方です。政治家もまた、日本人をアメリカ化させることが恰も日本の進むべき道であるかの如く誘導している昨今です。

 伊勢神宮の式年遷宮を通じて、我が国の歴史と伝統の重みを再認識し、我が国の未来は過去の歴史を引き継いでいく先にあるものであり、断絶した先に有るものではない事を深く理解する必要があると考える次第です。(終り)

参考文献「伊勢神宮と天皇の謎」武澤秀一著

「建築にまつわる話」はお休みです。

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