陰陽道 陰陽會

安倍晴明公の方術が今ここに蘇る!

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桔梗だより 平成27年5月号(5月1日頒布)

4月の陰陽會の祭典および行事

43日 神武天皇遥拝式

429日 昭和祭

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5
月の陰陽會の祭典及び行事予定

55日  端午祭 

510日 結婚感謝祭   

  

世界で解禁され始めた大麻、日本を蘇らせる大麻

大東亜戦争終結直後、GHQによって大麻取締法が押し付けられ、現代日本人は「大麻」と云うと、「麻薬」の事だと思わされています。然しながら大麻栽培が禁止される以前は、日本人と大麻の関係は切っても切り離せない程生活に密着した存在であり、大麻草を栽培する事は国家によって奨励されてきたことでした。

何故、日本に於いて身近で重要な植物であった大麻が、戦後「麻薬」扱いされて忌み嫌われ、日本人の記憶から遠ざけられてきたのでしょうか。そこにはGHQによる画策があったという明白な事実がありました。

 【神話の時代から続く大麻の歴史】

そもそも 大麻は神話の時代の天岩戸開き以来、天太玉命(あめのふとだまのみこと)・天日鷲命(あめのひわしのみこと)より受け伝えられた日本にとって大変重要な植物です。天日鷲命は、麻・穀(かぢ)・粟・五穀の種を携えて天磐船(あめのいわふね)に乗って種穂山に降臨したと伝えられ、忌部氏に「麻を植え、神と国に仕えなさい」と伝えられ、忌部氏は代々天皇の神祇祭祀を司ってきました。

天皇陛下が即位される一世一代の践祚大嘗祭(せんそだいじょうさい)でお召しになる麁服「あらたえ」は祭儀の為の特別な装束ですが、阿波忌部(いんべ)の末裔である三木家によってのみ、麁服「あらたえ」を作ることが許されています。
 
  「麁服(あらたえ)」とは、阿波忌部直系氏人の御殿人(みあらかんど) が、天皇陛下が即位後、初めて行う践祚大嘗祭の時にのみ調製し・ 調進(供納)する「大麻の織物」の事を云います。

また陰陽道や神道に於いては、大麻は罪穢れを祓う呪力があることから、修祓(しゅばつ)の際のお祓いは大麻(おおぬさ)で行われています。陰陽道や神道の祭儀で様々なところで大麻は欠かせません。

そして、伊勢神宮の御札のことを「神宮大麻(じんぐうたいま)」と言い、大麻とは天照大神(あまてらすおおみかみ)の御印とされています。

これらのことから、大麻は宮中祭祀や陰陽道・神道の祭儀に欠かすことのできない神聖な植物であることが分かります。宮中祭祀や陰陽道・神道の祭儀のみならず、大麻草(麻)は縄文時代から日本人の生活(衣・食・住)に欠かせない植物であり、また燃料・医療等に使われ、親しまれてきた植物です。

日本で大麻を衣服や釣り糸や食用として使用した痕跡は、縄文時代に遡ります。福井県の鳥浜遺跡からは1万年前の大麻の種が発掘されています。縄文土器の縄目は大麻の縄で付けられたものも多く、鳥浜遺跡からは大麻で作られた縄も発掘されていて、大麻で作られた遺物としては世界最古のものです。

嘗て日本人は子供が生まれると臍の緒は麻糸で切り、子供が麻の様にすくすく丈夫に育つ様にとの願いから麻の葉模様のおくるみや着物を着せ、結婚式では夫婦が末永く仲良く幸せである事を願って夫婦の髪を麻糸で結ぶ儀式が行われていました。また昭和二十七年までインド大麻草が薬局方に喘息や不眠症の薬として収載されていましたし、正倉院には麻の紙に書かれた千年以上前の仏典が残っています。

日常生活では、麻の鼻緒で作った下駄を履き、麻布でできた着物や褌(ふんどし)を身に付け、麻の茎の入った壁や天井に囲まれた家に住み、麻糸で作った畳の上で過ごし、夏は麻糸で作った蚊帳(かや)で寝ていたのです。地名や人名で「麻」と云う字が含まれている場合も数多くあります。

このように大麻草は天孫降臨から代々引き継がれてきた、精神的にも物質的にも、日本人の象徴とも言える植物であり、大麻草は日本の国草であるといっても良いくらいです。

【GHQが日本に対して大麻の栽培を禁じた理由】

大東亜戦争終戦直後、GHQ占領下に於いて、実質的に占領軍からの命令書という意味で、麻薬に関するメモランダム(覚書)が発行され、それに基づいて法律が定められることになりました。

終戦後僅か二ヶ月後の昭和二十年十月十二日付のメモランダムの中には、麻薬の定義について「あへん、コカイン、モルヒネ、ヘロイン、大麻」と記述されていました。大麻の取締りはポツダム緊急勅令(昭和二十年勅令第五四二号)に基づくポツダム省令として制定され、大麻は麻薬と指定され、大麻草の栽培等が全面的に禁止されました。その後、今迄の大麻栽培農家などの大反発があったことで、同じくポツダム省令として「大麻取締規則(昭和二十二年厚生・農林省令第一号)」が制定され、麻薬から独立して大麻の規制が行われるようになり、伝統・産業用などにまつわる大麻草の栽培が許可制で一部認められ、併せて大麻の輸入・輸出・所持・販売等が規制されました。

何故、GHQは日本に対して大麻取締法と云う厳しい法律を押し付け、更には麻薬扱いして現在まで厳しく取締りの対象とさせているのでしょうか。

そもそも日本に於いてだけではなく、欧米でも大麻の栽培は盛んになっていました。欧州では西暦1200年に大麻を原料とした製紙工場が出来て大麻産業が事実上開始され、米国では1916年には大麻の栽培を拡張していました。

1929(昭和4)年にはアメリカのフォード車が大麻を使用した自動車の研究に着手しています。更に1937(昭和12)年にはアメリカで大麻産業を活性化しようとする動きがあり、アメリカ農務省は「大麻が地球上で栽培できる植物の中で最も有益である」との声明を出したほどです。更に数十億ドル産業と云う事であらゆるメディアで宣伝される事で大麻の存在が表面に出て来ました。けれども遡る事12年前の1925(大正14)年に米軍によるパナマ運河地方の大麻使用に関する調査報告が出され、大麻の使用に関する薬物的な懸念が生じたと云う事で1929(昭和4)年にはアメリカの十六州で大麻が禁止されていました。

 この事も絡んで、大麻産業の有用性が高まると途端にマリファナ(大麻)課税法が制定され、アメリカの48州の内46州で採択された事で、 事実上この時点からアメリカでの大麻栽培は消滅していきました。

  メディアが宣伝するほど大麻の有用性が増していながら、何故大麻栽培が消滅したのかと言えば、大麻の禁止やマリファナ課税法の裏には、石油資源を中心に経済を発展させていこうとする石油メジャーの暗躍があったからに外なりません。

つまり、大麻は僅か三か月余りで生育し、病害虫や天候不順に強く、極端な寒冷地以外では何処でも育てられ、肥料もほとんど不要で花・葉・実・茎・根の全てが様々な分野で有効利用出来る、地球上でこれ以上ないと思われる程の有用な循環資源の植物ですから、石油メジャーにとって石油産業製品を軌道に乗せる為には邪魔な存在以外の何ものでもなく、大麻産業は叩き潰しておかねばならないという思惑から政治的・経済的配慮が働いた事は明らかです。石油産業・木材産業・化学繊維産業・農薬科学産業・医薬品メーカーなどに関連した大資本家が、石油中心に産業革命を推進し莫大な利益を得る為には、その全てに大麻が競合することが分かり、断固として潰しておく必要性から「大麻=麻薬」と云うプロパガンダを意図的に流布したのでした。

日本は将に大麻を伝統的産業として神話の時代から続けていた訳ですから、当然、終戦後GHQは自国の石油メジャーの製品を日本に売り付ける為には、日本の大麻産業は壊滅しなければならないと考えました。石油製品の押し付けのみならず、大麻と皇室、所謂国家神道との繋がりも重大な懸念材料であり、皇軍の並外れた強さ、日本人の強い結束力が皇室と神道によって培われたものであると理解していたアメリカは、日本人から神道を切り離す必要性を考え、神道に欠かせない麻文化を壊滅させることを目的として、日本人と 大麻の関係を必要不可欠で大切な存在から麻薬と云う人間にとって害悪そのものの存在にすり替えてしまったのです。

現在、伊勢神宮の御札やお祓いで用いられる「大麻」も麻薬指定されている「大麻」も全く同じ字を意図的に用いられており、日本人の多くが「大麻(たいま)」と言えば「麻薬」としか思い浮かばないように仕向けられています。

然しながら「大麻」や「大麻草」とは植物の名前であり、麻薬(正確には「痲薬」と書く)の呼び名ではありません。

本来「痲薬」の「痲」と云う字は「痺(しび)れる」と云う字であり、「麻(あさ)」ではありません。

それでは何故、大麻と麻薬が現在同じ字を当てているのでしょうか。それは昭和24年に当用漢字字体表 が告示されて 「痲」と「麻」が同じ漢字として使われることになったからです。

昭和24年と云えば、まだGHQの占領下にあった時代です。明らかに「大麻=麻薬」とする為の作為があったと考えるべきでしょう。                   (次号に続く)

参考(アサノハ・大麻を正しく考える国民会議)

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