陰陽道 陰陽會

安倍晴明公の方術が今ここに蘇る!

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2.神葬祭の歴史

葬送の儀礼や祖先崇拝の考え方は、現在では仏教が主流となっていますが、日本民族固有の葬儀は記紀に覗う事ができます。

最古の記述としては『日本書紀』巻四「神出生章」伊弉冉尊を紀伊国熊野の有馬村に葬(かく)し奉ったことを

「土俗(くにびと)、此の神の魂を祭るに、花(はなある)の時には、亦花を以て祭り、亦鼓吹幡旗(つづみふえはた)を用て、歌ひ舞ひて祭る」

と記述されています。

口語訳:いざなみの命が、海の神 風の神 山の神 野の神、三十五柱の神をお生みになり、中でも火のかぐつちの神(火の神)をお生みになったことによって、ついにおかくれになりました。そして今の三重県南牟婁郡と伝えるところに葬った。土地の人はこの神の魂を祀り、鎮めるために、花の時期には花を、また秋には収穫した穀類を、更に海の物 山の物などをお供えし、楽器をならし旗を立て歌舞いをして、命の御心を慰め鎮めました。

また『古事記』には天若日子(あめのわかひこ)の葬送について

「喪屋(もや)を作りて、河鴈(かわがり)を岐佐理持(きさりもち)とし、鷺(さぎ)を掃持(ははきもち)とし、翠鳥(そに)を御食人(みけびと)とし、雀を碓女(うすめ)とし、雉を哭女(なきめ)とし、如此(かく)行ひ定めて、日八日、夜八夜を遊びたりき」

とあります。

口語訳:そこにお葬式のための仮小屋の喪屋を作って、川辺にいる雁を死者の食器の係りとして、鷺を葬儀場の掃除の係りとし、翆鳥を食膳の係りとし、雀を米つき女とし、雉を泣き女とし、その役割で葬儀を行うものときめて、八日の間、夜を日についで歌い舞うわざを営みました。

これらの古典の記述からも我が国に於ける葬送の儀礼は、神代の時代から連綿と続いてきたことが分かりますが、仏教伝来と共に奈良時代以降、葬祭の儀礼は僧侶に委ねられ、更に江戸時代になると寺請制度が施行されたことから、庶民の葬儀は殆どが仏葬一辺倒となってしまい、いつしか葬儀と言えば仏式と云うのが半ば常識のように考えられるようになってしまいました。

その後明治元年三月に「神仏分離令」が発せられ、同年四月十九日神道事務局は諸国の神職に対して、これまで神職及びその嫡子だけにしか認められなかった神葬祭を家族全員に改めるように通達を出し、更に明治三年から四年にかけて神葬祭を一般に至るまで自由に行いたいとの願い出が諸藩に受理されて、全国的に広まっていくことになりました。

このようにして官幣社・國弊社の宮司以外は神職が氏子に対して自由に神葬祭を執り行う事が出来るようになり、更には戦後国家神道が廃されて以降は、神社はすべて宗教法人となったことで凡ての神職が神葬祭を執り行う事が出来るようになりました。

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